『天使の翼』第5章(32)

 問題は、距離感の全くつかめないことだった。夕方、という条件もさりながら、惑星が変われば、天体としての直径も変わるし、その僅かの差が、距離に影響してくる。見た目は、全く当てにならない。
……あそこに辿り着くまでに、どの位を要するだろう?いずれにしても、選択の余地はなさそうだ……。わたしとダイアンは、自然とシャルルの顔を見ていた。
 「まだ体力の残っている今が、一番大切な時だと思う。あそこまで行けるかい?」
 わたしは、ダイアンと顔を見合わせ、次いで、二人してシャルルに頷き返した。
 それからの二時間は、無限に続くとも思える難行であった。
 途中いくらも行かないうちに、ミロルダの大気が重い湿気をささえ切れなくなり、一陣の風と共に、大粒の雨がざーと降り出した。
 風、雨、ごつごつの岩場……
 荒々しい自然の営みは、人の思考機能を軽々と奪ってしまう。わたし達は、魂の抜け出したゾンビの集団のような有様で、体を動かしていたのは、麓の明かりに辿り着くという、ただその一念だった。
 防水コートは、絶え間ない風に旗のようにはためき、じっとり粘りつく大粒の雨滴は、難なく布地の隙間を見付けて染み込んでくる。どんな仕様のコートを着ていたとしても、ミロルダのまるでアメーバーのように執拗な雨にあっては、ものの役に立たなかったに違いない。わたし達は、サバイバル・キットにあったあきらかに民生用のヘッド・ライトを装着していたが、その光芒は、いかにも頼りなく、物の形を、ほんの数標準メートル先まで、おぼろに照らし出すだけだ。吹き荒ぶ風雨に閉ざされて、耳に聞こえるのは、嵐の音と、フードの中にこもったような自分自身の荒い呼吸の音だけ……

 わたし達にできることは、五感の到達範囲が極めて限られた閉ざされた空間に包まれながら、一歩一歩距離を縮めていくことだけだった。最初のうちこそ苦しいだけだったが、行路の半ばを過ぎた頃からだろうか、まるで長距離を走り続けてきた体が感じるような陶酔が、体内に浸透してきて、わたしは、一歩一歩じわじわと歩みを進めていくことが出来たのである。いつの間にか、得体の知れない肉食獣に襲われる恐怖だの、未知の惑星で出会う困難だのといった雑念が、心から消えていた……