『天使の翼』第8章(25)

 わたしは、長年の経験から、こういう状況でいい歌を披露できれば、大きな賞賛を得て、会場がさらに盛り上がることを知っていた――逆になると悲惨である――わたしは、反射的に男性詩人の方を見た。彼からは、ニヤリと、瞬き一つのウインクが返されてきた。彼にも、今のこの会場の状況が分かっているのだ――人並みの吟遊詩人なら誰でも、歌う場の空気が生き物であることを知っている……
 次にシャルルの方を見ると、驚いたことに、にこにこと、全く平然としていた……彼もまた、わたしにウインクを返してきた――今の状況が分かってない訳ではないらしい……いずれにしても、もうここまで来ては、シャルルの歌に全てを賭けるしかなかった。
 シャルルは、細い指でさっと前髪をかき上げると、一歩前へ進み出て、立ち位置を決めた――観客からも、舞台袖の貴賓席からも良く見える位置――。わたしも慌てて前へ出る。気の利いた修道僧が、ギターを弾くわたしのために椅子をあてがってくれた――
 「可愛いー!」
 会場のそこかしこから嬌声が上がった。
 ――わたしのことじゃないみたい……
 シャルルは、演技かどうか分からなかったけれど、はにかんだ表情でさっと会場を一瞥すると、伏し目がちに歌う前の体勢に入った――
 「チャールズー!」
 ――いい加減にして、って感じ。
 「シャンタルゥーー!」

 ようやくわたしにも声がかかり、わたしは、声のした方に人差し指と中指で敬礼の真似事をして見せた。
 そして、さりげなく椅子の向きを変えて、スカルラッティの表情を自然に窺えるようにした。
 わたしは、シャルルと視線を合わせて、呼吸を整えた。
 会場もしんと静まり返る。
 わたしは、ギターの弦に指を振り下ろした――
 哀調のスロー・テンポから入って、徐々にメロディーを走らせていく……