『天使の翼』第4章(14)

 ――大抵、それは野次という形をとる。今日もそうだった。
 「へい!そこの綺麗なねえちゃん!澄ましてないで、さっさと歌いな!……俺が、クリプトンの時みたいな紹介アナウンスをしてやろうか?」
 S席のその野蛮人の声は、かなり大きく響き、どっと笑いが巻き起こった。
 (今だ!)
 「あなたの紹介じゃ、コーヒーに塩をかけるようなものだわ――」
 わたしの声は、マイクに集音されて、会場に響き渡った。
 「――遠慮しときます」
 今度はわたしを後押しする笑いが起き、野次男は、肩をすくめて引き下がった。
 「わたしの名は、デイテ。今日の夕方、テラ=アケルナルからの直行便でここへ来ました。今日ここで歌うことになったのは、まったくの偶然です……」
 S席の野次男こそ退散したものの、会場のあちこちから野次が飛んでくる……仕方のないことだ……わたしは、好奇の視線の餌食だ。

 「……この偶然に感謝しつつ、歌います。……『本当の気持ち』――」
 わたしは、さっと腕をひと振りして、ギターを奏でた――
 ――いつもより長く……
 わたしは、祖母直伝のギターに、絶大な自信を持っている。ギターのプロには申し訳ないが、わたしの技量であれば、ギターだけでも食べていける……
 わたしは、今、そのギターで、哀感の中に漂う熱い想いをリズムに乗せて、いつもより長く、たっぷりと時間をかけてメロディーを奏でた――
 いつの間にか、会場は、水を打ったように静まり返っている。
 わたしは、無心にギターを奏でた。
 ――そして、歌う時が来た。
 
 

 僕は、ある日突然、気付いた
 ――彼女を愛していることに
 彼女のことを思うと苦しくなる、
  この胸の痛みが教えてくれたんだ
 「僕は、彼女を愛してるのだろうか?」

 ――僕は、自分の心に聞いてみた
 「愛しているよ、彼女のことを」
 答えは、すぐに返ってきた――
 前から少し気になっていた彼女――彼女に対する想いが、
  まっ白い雪のように心の中に積もって――
 いつの間にか恋のスイッチがONになっていた
 「彼女が好きだ」
 ――そして、彼女は、僕の気持ちを知っているのだろうか?
 僕は、彼女に接する時、どうしても優しくしてしまう
 ――愛してるから、彼女に優しくしてあげたい
 彼女は、気付いてるかも知れないし、
  気付いてないかも知れない
 彼女に、僕に対する意識がなければ、

  僕の優しさなんて、簡単に見過ごされてしまうだろう
 ――そして、よく考えたら、
 僕は、彼女のことを何も知らないんだ……
 ――彼女には、好きな人がいるのか?
 ――彼女には、付き合ってる人がいるのか?
 今さら誰にも聞けない。
 日頃そういうことに無頓着な僕には、
  分からないことばかり
 分からないから、彼女のちょっとした言動に、
  そのつど僕の心は激しく揺らぐ
 ――いままで気にも留めてなかったけど、もしかして彼女は、
  あの男性と付き合っているのだろうか
 ――このところ彼女の姿を見かけないのは
  彼とどこかへ旅しているのだろうか……
 ――分からない……

  考えれば考えるほど、分からなくなる
 ――少ない材料をどうつつきまわしても、
  答えは、赤と黒、どっちにでも取れてしまうのだから
 「僕は、彼女が好きだ」
 でも、その想いは、何も伝える前に閉ざされてしまう……
 僕の心の中に、苦しい思いがさっと広がり、
  そして、ぎゅっと締め付けてくる
 僕の心は、絶望と希望の間を振り子のように揺れている
 ――そんな時、たまたま彼女と会話のできた時、
 彼女がふっと僕に向けてくれた笑顔――
 固く閉じた僕の心の上に、さっと太陽の光が射す――
 彼女の笑顔が、凍りついた僕の心を
  瞬く間に溶かして――
 無限大の喜びが、僕の心に拡がる……
 「なんて幸せなんだろう」

 ――彼女が笑顔を見せてくれただけで、
  僕の心は、こんなにも……
 でも、僕自身分かっている――それが
  つかの間の喜びにすぎないことを……
 彼女の本当の気持ちが分からないまま、
  一瞬の出来事にすがりつこうとしている
 はかない喜びに、痛みという名の亀裂が入り
  太陽は、すぐまた厚い雲に閉ざされて、
  喜びは霧のように消えていく……
 ――そうなのだ。
 彼女は、僕の気持ちを知らない。
 そして、僕に心を寄せてくれている訳でもないのだ
 ……多分、嫌われてはいないだろう
 でも、彼女の心の、恋のスイッチは
  OFFのままだ――
 それがONになるには、待つしかない。
  恋は理屈じゃないから……

 僕は、ただ、彼女に対する優しさを見失わずに、
  いつか彼女の振り向いてくれる日を待つだけ……
 それは、長く苦しい時の足枷――
 ――苦しくて、ふと思う。
  僕の気持ちを告白してしまおうか?
  いや、告白しないまでも、何とか彼女に伝えるすべは
   ないだろうか……
 ……それは、非常に危険なことだ
  彼女に心の準備ができていない時に、
   自分の重い想いを彼女に振り向けてはいけない……
 それとも、彼女が僕の気持ちに気付いてくれないなら……
  彼女の前で、別の女性と親しくしてみせようか……
 ああ、僕は、いったい何を考えているんだ――
 彼女への想いが、度重なる期待にもかかわらず裏切られ続けて、
  僕の心は、疲れきってしまっている……

 「僕は、彼女が好きだ」
 その気持ちは、僕の心にしっかり根を張っている
  いつか、素直に、自分の本当の気持ちを
   彼女に伝えることのできる日を夢見て……