『天使の翼』第2章(11)

 定時報告が故意にゆがめられている可能性は、理論的には、皇帝の言う通り、組織ぐるみであれば、最も考えやすい。聖薬の3公式のどの項に細工するにせよ、大勢の人間が関与し、二重三重に検算の行われるシステムにあっては、少数の人間の意図的操作は、たち
まち暴き出されてしまうだろう。……が、しかし、組織ぐるみの改竄は、現実的には考えにくいことだ。必ずどこかから漏れる。聖薬三庁の官僚の大多数が、同じ政治的意図のもとに反逆に走るなどということがありうるだろうか……。反逆に強い動機を覚えるグループがあれば、必ず、それとは違う思想を持つ人々がいるものである。
 いよいよもって、聖薬三庁の定時報告に瑕疵があるとすれば、それは、思いもよらないトリックということになる。しかも、それは、相当手の込んだものになるはずだ。なぜなら、聖薬の在庫管理は、単に数値管理されているだけでなく、定期・不定期の棚卸によって現物管理されているからだ。数値はごまかせても、現物はごまかせない。それこそ、棚卸の係官を、何らかの手段で脅迫し、ないものをあると――あるいは、あるものをないと――言わせない限りは……
 問題は再び振り出しに戻って、この広い宇宙のどこかで、不法な聖薬の合成か栽培が行われている可能性は――
 「サンスに行くしかない――」
 わたしの思考の流れを追っていたかのように、皇帝の声が響いた。
 「――サンスに謀叛の意図があるとすれば、必ず、聖薬の不法な備蓄をしているはず。そんなことがどうして出来たのか?そして、本当に反乱を起こそうとしているのか?――この二つの謎を解くには、サンスに行くしかない」

 わたしは、皇帝の射るような目が、ひたとわたしの顔に据えられている事に気付いた。
 ……わたしは、自由民だ。自由民を歌った伝説は数多く、その中では、度々、皇帝の使者となる自由民が描かれている……皇帝の子が果たすべき当然の義務として……
 「行ってくれるか、デイテ」
 ……とても重い言葉だった。その使命の重さに……そして、命の保障はない。訓練を受けた諜報部員ですら、次々と消息を絶っている……
 それでも、わたしは、頷いていた。
 「はい」
 わたしは、生まれてはじめて、運命というものの存在を感じていた――体の芯がマグマのように熱を帯び、肌がちりちりと焼けるように……
 「そなたは、百万の矢だ」
 皇帝の言葉が、わたしの胸にとどろいた。
 (わたしは、皇帝に放たれた矢だ!)
 「今度のことでは、すでに、多くの者の命が失われておる」

 「……」
 「わしは、その者達の無念を忘れはしない。そして、正義を――」
 テラスへの扉口から、一陣の風が吹き込んできた。
 振り返ったわたしは、外の月明かりが、輝きを増していることに気付いた。夜が、奇しく照らされている……
 「第二の月が昇ったようじゃ……」
 皇帝は、しばし外を見やった後、わたしを顧みた――その表情に、わたしは、一瞬、子供っぽい笑みを見たように思った……
 「そなたにしてやれる事が、二つだけある」
 「……」
「『天使の翼』と『王子』じゃよ」
 わたしは、何のことか分からず、きょとんとしてしまった……タロット・カードの絵柄みたい……