『天使の翼』第1章(2)

 薄暗い店のフロアーには、十指に満たない止まり木と、それでも七、八ばかりのテーブル席――客はといえば、どう考えても常連というにはありがたくない居眠り客が五人ばかり……
 (ここで歌うのか……)
 口にしようとした刹那、マスターは――
 「今、客を呼んでくる。……予約客だ」
 店の外に出て、がなりだした。
 「さあさ、今夜、銀河の歌姫が俺の店に来たぜ!」
 重い木の扉がバタンと閉まって、マスターの客引きの声がくぐもって聞こえるようになると、わたしは、改めて店の中を見回した……人には、必ず生業があり、そして、その生業がうまくいっている者と、はかばかしくない者がいる。金銭だけを追い求める者もいれば、それには拘らない者もいる。虚飾に満ちて自らを見失っている者もいれば、際限のない自己憐憫に陥っている者もいる……わたしが歌を歌う理由は、はっきりしていた。人の心にほのかな明かりをともすのだ……どんな人であれ……

 扉がバタン、バタンと音を立てて開いたり閉まったりするたび、店の中が次第にむさい男達の人いきれで満たされていくのを感じながら、わたしは、思った――言葉を話すのは人間だけ。人間の本能に刻まれた言語で、人は、考え、思いを巡らす。わたし自身の言葉をリズムに乗せて人の心に届けるのが、わたしのしたいと思っていること……
 いつの間にか、立錐の余地もないほどに込み合ったフロアーに、シンと、静寂が張り付いていた。
 わたしは、さっと腕を一振りして、ギターの上に打ち下ろした――
  

  

  彼は、銀河の航宙士(ナビゲーター)
  彼は、多くのものを見てきた
  遥かなる辺境の星々を
  人跡まれなる異境の大地を
  そこに住む異形の人々を
  ――誰もが見れるものではない
  彼は、銀河の宇宙船乗りだ
  子供たちの憧れの的
  男の子なら、誰もが一度はなりたいと思う
  

  彼は、銀河の航宙士
  宇宙船に秘められた巨大な超空間航法(ワープ)の力で
  宇宙の深奥へと突き進む

  時には、機関の故障にもみまわれる
  また、時には、密輸業者ともかかわる
  無法国家に行き着くことさえある
  ――誰もがこなせるものではない
  彼は銀河の宇宙船乗りだ
  女たちが熱い視線を送り
  男なら、誰もが一度は羨望する
  

  彼は、銀河の航宙士
  彼の演じたドラマは数知れず
  時には、一肌脱いで、売られた女を助け出す
  また、時には、遭難した船のもとへと駆け付ける
  訪れた星の戦に巻き込まれることすらある

  ――そんな勇気は誰にでもあるものではない
  彼は、銀河の宇宙船乗りだ
  弱き者の目に頼もしく映り
  驕れる者の目に怯えを呼び覚ます

  

  彼は、銀河の航宙士
  彼は、多くのものを見てきた
  仲間同士の結束する姿を
  男と女の間に愛が芽生えるのを
  遥かなる異邦人との間に、共通の人類愛が目覚めるのを
  ――そんな優しさは、真の男の心に宿っている
  彼は、銀河の宇宙船乗りだ
  新たな冒険を求めて
  今また旅に出る

 宇宙港(スペースポート)に近いこの界隈にはぴったりの歌だったと思う。
 荒くれ男達は、わたしが歌い終わった後も、しばらくは口をあんぐりと開けたまま余韻に浸っていたが(?)、その後に、安酒場の天井が落ちんばかりの喝采が巻き起こった。沈滞していた空気が俄かに活気付き、そこかしこで、与太話や、土産話の花が開く……

 わたしは、差し出される汚いグラスのおごり酒を、受けたり、やんわり押し返したりしながら、即興であと三曲披露して、静かに店を後にした。もちろん100ユナイトはもらった――それが礼儀だから……
 通りは、夜が更けるにつれて、さらに賑わいを深めてきたようである。
 帝国で、無数にある宇宙船の発着港の中、唯一その名を冠することを許された『インペリアル』スペースポートから、主に下級の船員や港湾労働者が流れてくるのだ。士官や、恒星間連絡船 の乗客は見向きもしない街である。高額なシャトルの乗客でこの街に一夜の宿を求める者があるとすれば、それは、全財産を首都での新しい生活に賭けた夢追い人か、さもなくば、帝国のブラックマーケット、アンダーグランドに棲息する人々……
 ……そして、わたしのような自由民――悠久の歴史の傍流にあって、国籍も本籍も持たずにきた民。帝国の法典上は、帝国市民権を有しつつも、皇帝の直轄民であり、時として皇帝の子らと呼ばれる。

 自由民は、その旅の生活を保障するために、特殊な恒星間交通権が認められている。つまり、格安の、きわめて低額に抑えられた料金で連絡宇宙船に搭乗できる。
 わたしは、道端によって、行き交う人の流れを見るともなく、下ろしていた髪を結い上げ、白一色で目立つ服装の上から、ごく薄い黒のコートをはおった。静かにこの街の息吹の中に溶け込み、一夜の眠りをむさぼる――
 その時だった、声がかかったのは。
 「デイテ!」
 この気の遠くなるような銀河の広がりの中で、わたしの名を知っている者?
 男の声?
 覚えのないテノール?
 ……用心から言えば知らぬ振りをするところ、咄嗟の事で、わたしは振り返った。
 そこには、男が三人いた。
 相手は、いともたやすくわたしがデイテであることを確認し、次の瞬間、わたしのみぞおちに、熱くごつごつした大きな拳がくい込んだ……深く、深く……こんなに深くては……
 わたしは、遠のく意識の中、男達が、だらしのない身なりのわりに、皆、厳しく引き締まった顔をしているのを……不思議に……感じて……いた…………