『天使の翼』第8章(20)
……その後に続いたスカルラッティの説教――と、言うべきか?――は、ここでは省略する。修道院の聖堂にある主祭壇画、そのメイン・パネルに描かれた聖女に関する話だった……わたしは、徐々に大きくなってくる、恐怖から激昂に至る感情の軌道を、周期の短い振り子のように行ったり来たりしていたので、とてものことに、細かくは話しを聞いていられなかった。スカルラッティの声が途切れ途切れにわたしの意識の端に上る……官能の世界にどっぷりと浸かっていた女性が、悔悛して、ついに聖女となった――大修道院の紋章で、洞窟で瞑想していた聖女は、つまり、悔悛の行為そのものの象徴だったのである……見る者に欲望を起こさずにはおかない美しい女性が、同時に聖女であるというパラドックス――
――わたしは、突然の啓示に打たれた。
吟遊詩人は、スカルラッティにとっての悔悛の聖女なのではないか。
――美しいものと聖なるものを兼ね備えた存在として、娼婦と聖女という二面性を兼ね備えた存在として、スカルラッティの目に、吟遊詩人が異様な執着と共に映っているのでは?そうなったそもそもの発端、反復される犯罪の出発点は、おそらく一人の身近にいた吟遊詩人に対する性的な執着が、不幸にも彼女の理不尽な死で終わったことではなかろうか?その時、その死に快楽を覚え、引き返すことができなくなったとすれば……どんな形でかは分からないが、次々と吟遊詩人を狩り集めるスカルラッティ、たとえどれだけ記念品――この言葉は使いたくない――を集めても、それは結局代替物にすぎず、心は完全に満たされることのないまま、永遠に犯罪が続いていく……欲求が快楽に転化したものの、その快楽は、欲求を満たすものではない。故に、満たすことのできない欲求の代わりに、何度でも何度でも快楽を得ようとあがく……

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