2016.03.02 17:54『天使の翼』第3章(6) 翌日、午前中のかなり遅い時間まで眠り惚けたわたしは、幸いなことに、重苦しい気分からは解き放たれて目覚めることができた。 コーヒーで軽い朝食をとり、たった一日の休息のための買い出しに出る。 久しぶりに飛ばしたABC社(エア・バイク・コーポレーション)のエアバイクは、わたしの爽快感を増幅して、「このまますべてを投げ出して、どこか誰も知らないところへ行ってしまえ」と、悪魔のささやきを仕掛けてくる……わ...
2016.03.02 17:31『天使の翼』第3章(5) 実は、自分の家なのに、長期に滞在したことのないわたしは、岬の断崖の下に、目の覚めるような真っ白な砂浜のあることを、一年前まで知らなかった。建物の海側の庭のはずれにある、ちょっと気付かないような薄暗い小道をたどると、乾き切った木目の浮き出た、木製の橋と階段からなる桟道があって、崖下の砂浜へと這い下りていたのだ。 わたしは、夕やみが夜へと移ろい、またたく星の数がみるみる増えていく中、誰もいない砂浜へ...
2016.02.27 05:11『天使の翼』第3章(4)(まずは、シャワーだ!) わたしは、アケルナル・キャットに、この中にはついてこれないことを言いふくめて、ブースに足を踏み入れ、心持ち熱めの湯を、全身に浴びた。たちまち、心の壁に張りついた最後の垢の残滓まで洗い落され、わたしの心は、自由に漂い出した……。まず長い髪を洗い、そして、いつもの癖で体を上から下へと洗っていく……いつしか、わたしは、シャルルのことを考えていた……おそらく、自分の乳房を洗ってい...
2016.02.27 04:52『天使の翼』第3章(3) さて、これからどうしたものだろうか? 夜明け前のひんやりとした微風に吹かれながら、わたしは、プライベート・エリアの搭乗タワーへと歩いた。早くも、早朝便のシャトルの到着が始まっており、巨大なスペース・ポートは目覚めようとしていた。 具体的な行動計画は何もないものの、もちろん、最低限の打ち合わせはしてあった。 ――わたしとシャルルは、姉弟の吟遊詩人として旅をする。サンス大公国に入国するまでに、いくつ...
2016.02.24 15:36『天使の翼』第3章(2) わたしを天使に叙任する式典は、翼の手術のときと同様、最低限の人員――宮廷付き司教ただ一人の立会いのもと行われた。華やかなファンファーレも、天蓋から降り注ぐ花びらも、一切なしだ。 ちらちらと瞬く蝋燭の明かりに仄かに浮かび上がった祭壇の前で、跪くわたしの両肩に皇帝の王笏がそっと触れて、式は終わった。 離宮(ヴィラ)の庭園の中、木立に囲まれたドールハウスのような小さな礼拝堂(チャペル)で、宮廷付き司教...
2016.02.22 04:58『天使の翼』第3章(1) 物には、すべて起源があって、その起源の起源、起源 の起源の起源……と、際限なく遡ることができうるのだ ろうか?……起源を存在理由と置き換えてもよい。もう これ以上存在理由がなく、ただ物が恣意的に、理由無く 忽然と姿を現す所があるとすれば、そこは、最も神のい る可能性の高い場所である。 (地球連合政府時代の...
2016.02.22 04:30『天使の翼』第2章(12) 「天使の翼――わしも、実際には見たことがない。そもそも、天使を叙任すること自体、初めての経験だ……」 わたしは、意味を悟って、身震いした。 『天使』は、皇帝の使者の唯一最高の形態であって、叙任といっても、正確には、神の代理としての皇帝の行為だ。したがって、その場には、必ずコスモス・カソリクスの司教が立ち会う。天使の声は、すなわち皇帝の声であるが、必ずしもそれに束縛されることはなく、より広義には、...
2016.02.20 16:11『天使の翼』第2章(11) 定時報告が故意にゆがめられている可能性は、理論的には、皇帝の言う通り、組織ぐるみであれば、最も考えやすい。聖薬の3公式のどの項に細工するにせよ、大勢の人間が関与し、二重三重に検算の行われるシステムにあっては、少数の人間の意図的操作は、たちまち暴き出されてしまうだろう。……が、しかし、組織ぐるみの改竄は、現実的には考えにくいことだ。必ずどこかから漏れる。聖薬三庁の官僚の大多数が、同じ政治的意図のも...
2016.02.20 16:02『天使の翼』第2章(10) 皇帝との予期せぬ会話の中で、わたしは、聖薬とその安全保障について巷間いわれていることを、ほとんど瞬時に思い巡らしていた。 サンス大公国が帝国の転覆を図っているとすれば、その前提として、大量の聖薬を保有していなくてはならない――そうでなければ、とても帝国軍に対抗できる訳がない…… でも、どうやって、手に入れたというのだ? 歴代の皇帝は皆、毎朝の執務の最初に、聖薬三庁から提出される三部の日報に目を通...
2016.02.18 13:20『天使の翼』第2章(9) 聖薬配給庁―― わたしは、常々、この役所に勤めるお役人は、ある年数を経ると皆神経衰弱になるのでは、と疑っている。1WOPの違算も生じせしめずに、銀河系津々浦々に聖薬を配給するのだ……。 聖薬がらみの犯罪が、帝国法典上唯一死刑の科される罪であるとはいえ、常に強奪の危険にさらされていることは間違いない。その安全な搬送にかかる膨大な手間と経費――聖薬運搬船と配給庁軍の護送船団が常時広い銀河の隅々を飛び...
2016.02.18 11:41『天使の翼』第2章(8) まず、聖薬管理庁。ここが、β‐Col星系、第一惑星、そしてセイント・イエローの群落全般の環境を保全し、セイント・イエローの資源量・収穫可能量の維持増大に責任を持つ。当然のことながら、聖薬管理庁所管の研究所だけが、全宇宙で唯一、セイント・イエローの生態調査を許されている。そうでなければ、何か惑星規模の環境の激変があった時に、何も対策を取れない。管理庁は、セイント・イエローの収穫・聖薬の...
2016.02.17 16:00『天使の翼』第2章(7) 皇帝は、わたしの沈黙の意味を、正確に察知されたようだ。 「謎は、それだな――。聖薬三庁からの定時報告を信ずるなら、過去半年はおろか、何年、何十年遡っても、聖薬の生産・配給・その後の使用状況に、それこそ、『1WOP(ウォップ)の疑念もない』のだ」 WOPとは、warp of one personの略であり、人類一人が、性別・年齢・距離に関係なく、一回のワープに必要とする聖薬の量を表す。『1WOP...