2016.04.04 06:18『天使の翼』第5章(3) わたしは、シャルルにいざなわれるままに、手近のベンチへと坐った。二人で海の方を見ながら…… 心地よい風が、肌を冷やしてくれる。 心の波も、いつの間にか引いていく。 「皇帝陛下は、無慈悲な方だ」 「無慈悲だなんて……」 「分かってるよ。でも、あなたのような優しい女性に、いきなり重い使命を与えたことも事実だ」 ……おそらく、面と向かって、『優しい女性』などと言われたのは初めてだ…… 「とんだことで、...
2016.04.03 10:17『天使の翼』第5章(2) 彼の前に行く最後の二十歩ほど、わたしは、ほとんど息が詰まりそうだった。歩き方も、情けないほどぎこちなかったと思う。 わたしは、天の邪鬼な性格なので、こういうとき、顔の表情が硬くなって、笑顔の片鱗すら消えてしまう。自分でもどうにもできない。本当は、抱きしめたいぐらいなのに…… シャルルは、わたしの表情が硬いのに、一瞬不思議そうな顔をした。 わたしは、内心気が気でなかった。ここでシャルルまで堅苦しく...
2016.04.02 05:55『天使の翼』第5章(1)……手の平に乗るほどの小さな空間を占めるにすぎない物体が、無限大の重さを持っていると仮定してみたまえ。手に持って持ち上げようとしても、絶対に持ち上がらないし、近付いただけで、その物体の表面に吸い込まれてしまうだろう。……見ることすらできないのだ。……世の中には思いもかけない状況があり、その状況下では、日常と全く異質の法則が働く場合があることを、忘れてはならない。 (地...
2016.04.01 07:25『天使の翼』第4章(21) 「たいしたもんじゃ、デイテ。昨夜一度の公演で、翌朝すでに、五通……いや、三通の招待状とは……しかも、どれも使者が持参してきおった」 わたしは、しばし三通の個性的な封書と睨めっこをした。……選びようがない…… 老支配人も笑みを見せて―― 「どうするね。一つだけヒントを言うと、そのガラスでできた招待状は、クリスタル城の公式便箋――マウリキス伯爵からのものじゃ」 ……もちろん、中身を全部改めてから選ぶ...
2016.04.01 07:17『天使の翼』第4章(20) わたしは、身支度を整え、老総支配人の部屋の扉を叩いた。 「はいられよ」 老人は、わたしとの別れの時を待っていたようだ。 今日の彼は、深紅の蝶ネクタイでびしっと決め、それが、血色の良い顔色とよく合っていた。 わたし達は、昨夜のライブのことなどでひとしきり会話が盛り上がったが――老人は、紳士らしくバージニアのことには一切触れなかった――、やがて、別れの時が来た。 「……これは、これは、わしとしたこと...
2016.03.31 05:13『天使の翼』第4章(19) 本当のことを言うと、わたしは、女性と寝たことがある。 自分から求めることこそないが、わたしのようなカッコいい女性(?)は、女性からも憧れの視線で見られている……わたしにも、人並みに好奇心と欲望があるから、最後までいってしまったことがないとは言わない…… どうも、この話題は苦手だ。 バージニアは、一晩わたしの部屋で明かしたが、二人の間には何もなかった。 久しぶりに心の扉を開いて安心したのか、バージ...
2016.03.31 05:06『天使の翼』第4章(18) わたしは、何と言ってよいか分からなかった。――よくある話といえば、それまでだが…… クリプトンは、ゆっくりとわたしの方を振り返った。 そして、わたしの方へまっすぐ視線を向けてきた。その目は、潤んで、光をたたえている…… 「バージニア・クリプトンという存在は、作られた虚像(イメージ)なの。わたし自身の自然な姿とは、懸け離れている――そのイメージは、あまりに強すぎて、外から、わたしの心を締め付けてく...
2016.03.30 09:26『天使の翼』第4章(17) わたしは、眺めの良い部屋に戻って、窓の前のソファーにくつろいでいる。 今日二度目のシャワーを浴び、すっかりリラックスして、余計なこと、特に『天使の翼』のことは意識の外に追いやろうとしていたと思う。大切な使命だが、そのことばかりを考えていては、何もしないうちに気疲れで倒れてしまうだろう…… 今は、ゆっくり、よく冷えたお酒を飲みながら、ぼんやりと窓の外の夜景を眺めて―― その時、ドアがノックされた。...
2016.03.30 09:19『天使の翼』第4章(16) 「みんな!そろそろ次の歌を歌いたいんだけど!……」 ――わたしは、吟遊詩人としての弾き語りの経験をフルに動員して、観衆との間合いを取り、十曲近い歌を歌った。 あくまで吟遊詩人らしく、わたしを含めた会場全体がアットホームな雰囲気に包まれるよう心掛けた。 自分で言うのもなんだけど、ショーを終えるころには、わたしの肌は、汗でじっとりと湿りを帯び、ほとんど素に近い顔は、きらきらと輝いていたと思う。 多...
2016.03.29 11:21『天使の翼』第4章(15) わたしは、歌い終わり、ギターをそっとおろした。 会場は、しんと静まり返っている。 心の時計は、現実の時間と異なり、どの位沈黙が続いたか分からない。――たとえて言えば、ミュージック・ソフトを聴く時、ソフトの終りの方になって一曲終わった後、それがそのソフトの最後の一曲なのか分からずに、次の音を待つような心境だ…… そして、次の音はやってきた―― 数人の客が、互いに待っていたとばかりに立ち上がり、ゆっ...
2016.03.29 11:09『天使の翼』第4章(14) ――大抵、それは野次という形をとる。今日もそうだった。 「へい!そこの綺麗なねえちゃん!澄ましてないで、さっさと歌いな!……俺が、クリプトンの時みたいな紹介アナウンスをしてやろうか?」 S席のその野蛮人の声は、かなり大きく響き、どっと笑いが巻き起こった。 (今だ!) 「あなたの紹介じゃ、コーヒーに塩をかけるようなものだわ――」 わたしの声は、マイクに集音されて、会場に響き渡った。 「――遠慮しと...
2016.03.28 16:46『天使の翼』第4章(13) 聞き間違いようのない声――バージニア・クリプトン! 彼女が、今、愛想笑いを浮かべた総支配人と、お付きの連中を引き連れて、わたしの後ろを横切ろうとしている――大方、楽屋で休憩の後、これから貴賓席(ロイヤルシート)で豪華な夕餉でも取るのだろう―― その時、クリプトンがわたしに気付き、わたし達は、初めて視線を交わした。 クリプトンは、瞬時に、わたしが出番を待つ吟遊詩人と察したろう――彼女の顔に、えっ、...