『天使の翼』第5章(13)
では、シャルルは?
「聖薬査察官の仕事は、誰でも知っているようでいて、実は、外から見ていても何も分からないんだ。……仮に大規模な摘発に成功したとしても――それ自体まれなことだし――摘発しなければならないような事案があったということ自体、大変な不祥事だから、決して世間には知らされない。僕の場合は、伯父が特別査察官だった」
「……」
「伯父は、僕のことをとても信頼してくれて、僕がまだ十代の前半だった頃から、査察官の仕事について、通り一遍ではない具体的な話をたくさんしてくれた……査察官の制服・バッチ・身分証明、本庁の建物の中がどうなっているか?毎日出勤して、どういうルーチン業務があるのか?……捜査官になるための訓練……事案の摘発に至る手順。大規模な査察庁軍の艦隊出動。……僕は夢中になった。何よりも、その仕事の使命が、全銀河の平和の維持にかかわっている。査察官は、平和と戦争の最前線で闘う戦士だ……。人は皆生きるために闘うけれど、僕には、査察官の仕事がとても崇高なものに思えた――今でもそれは変わらない……」
ここで、シャルルは、ちらりと乗務員室の方に視線をやった。
わたしは、はっとした。うかつにも、人に知られてはならない話題を持ち出して、もし盗聴でもされていたら……
シャルルは、小さく笑って、わたしの耳元に口を寄せてきた――
「ワープ航法の最中に盗聴する者なんて、滅多にいないよ。第一、電磁的な雑音が多過ぎて録音できないさ」
「ごめんなさい。たとえそうだとしても、二度と……気を付けるわ」
シャルルは、頷いた。
「――僕には、この仕事を選ぶことについて、何の迷いもなかった。子供の頃から、人生の目的と希望、つまり目標は定まっていたんだ」
ここで、わたしは、当然の疑問を口にした。
「では、何故、哲学科で学んだの?」
シャルルは、笑顔を見せた。
「確かにそれは、疑問だろうな。答えは簡単だよ。一つには、どの学科を選んだとしても、絶対に査察庁の採用試験に合格できる自信が、僕にはあったこと。二つには、僕は、いくつになっても好奇心旺盛で、科学や学問が大好きなんだ。特に、哲学は、宇宙の構造、真理、人間存在の意義を探求する、僕に言わせれば、もっとも総合的で基礎的な学問だ。……そして、これが決定的に大切なことなんだけど、哲学は、真理を探求する手段としての人間の思考、理論の組み立てそのものをも研究の対象としている。……真理に迫るのにどういう思考経路を使えばいいのか、そして、それぞれの思考経路にどういう落とし穴があって、過去にどのような誤認の蓄積がなされてきたのか……人間というのは、正しいと信じ切って過ちを犯す唯一の生き物だから……」

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