『天使の翼』第5章(2)
彼の前に行く最後の二十歩ほど、わたしは、ほとんど息が詰まりそうだった。歩き方も、情けないほどぎこちなかったと思う。
わたしは、天の邪鬼な性格なので、こういうとき、顔の表情が硬くなって、笑顔の片鱗すら消えてしまう。自分でもどうにもできない。本当は、抱きしめたいぐらいなのに……
シャルルは、わたしの表情が硬いのに、一瞬不思議そうな顔をした。
わたしは、内心気が気でなかった。ここでシャルルまで堅苦しくなってしまっては……
しかし、そうはならなかった。
シャルルは、何事もなかったように笑顔を浮かべ、無造作に手を差し出してきた。
わたしは、思わず握り返していた。
「デイテ、あまり心配しない方がいい。これから先何があるにせよ、僕たち二人で力を合わせて解決していくんだ」
わたしは、ほっとため息をついた。彼の魅力に対して硬くなっていたわたしの心を通り越して、シャルルは、その奥にあるものに触れてきた……いや、彼は、分かっていて口ではそのことに触れなかったのだ。彼は、思ったことを何でも口にする、分かりやすい性格ではないだろう……彼には、何でもお見通しのような気がする……
ただ……
ただ、シャルルの言ったとおり、シャルルに会って素直に喜べなかったわたしの心の奥に、重い使命に対する恐れがわだかまっていることは、それは、避けられない事実だった……
そう思った瞬間、こみあげてきたものを、わたしは、抑えることができなかった。わたしの意思に反して、涙は、それ自身一つの生き物でもあるかのように自己主張して、とめどなくぽろぽろと瞳からあふれ出た……。あろうことか、わたしは、嗚咽の声まで漏らしていた。
わたしは、突然心の制御を失ってしまった。心の奥に抑えつけていたものが、決壊した堤防からあふれ出る奔流のように、どっと意識下に流れ出して、わたしは、収拾のつかないパニックに陥った。
わたしは、あまりの恥ずかしさに、シャルルから腕を振り解いて走り出そうとした。
が、シャルルは、そうはさせてくれなかった。
気付いた時には、わたしは、シャルルに、ガッチリと抱き締められていた。抱きしめられながら、わたしは、シャルルの腕をぎゅっと摑んで、声を上げて泣いた。
「いいんだよ、デイテ。怖いものは、怖い。大変なことは、大変だ……素直に認めてしまって、後は、僕たちにできることを一つ一つやっていこう。あまり自分の心をいじめないで、押さえ付けよう、忘れようとすると、かえって苦しくなるから……」
「……」
やれやれ、わたしは、早くもシャルルに一つ借りができてしまった。一人の男性に対して、涙を見せてしまったのだ……
シャルルは、わたしのことを再評価したのだろうか――弱い女として――これから先一緒に運命を切り開いていくにしては頼りない存在として……
わたしは、恐る恐るシャルルの顔を見上げた。
そして、そこに見たものに、わたしは、心の底からの安堵感を覚えた。
――シャルルの瞳も、また潤んでいた。
彼の瞳から、ポロリと涙がこぼれ落ちた。頬を伝って、唇へと流れた――
わたしは、自分で気付くよりも先に、シャルルと唇を合わせていた。
シャルルもキスを返してきた……
ああ……こんな甘い口付け初めてだ……
さっきまで怖れに曇っていたわたしの意識が、安らかにうずいている……
しばらくして、わたし達は、自然と顔を離した。ことば抜きで、ただ頷き合う。

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