『天使の翼』第4章(20)
わたしは、身支度を整え、老総支配人の部屋の扉を叩いた。
「はいられよ」
老人は、わたしとの別れの時を待っていたようだ。
今日の彼は、深紅の蝶ネクタイでびしっと決め、それが、血色の良い顔色とよく合っていた。
わたし達は、昨夜のライブのことなどでひとしきり会話が盛り上がったが――老人は、紳士らしくバージニアのことには一切触れなかった――、やがて、別れの時が来た。
「……これは、これは、わしとしたことが、旅立つ人を長く引き留めてはいかん事位分かっとるんだが……これは、わしの気持ちじゃ」
わたしは、老人の差し出す小切手を受け取り、思わず顔を上げていた。眼の玉が飛び出るということはないが、かなりの高額――ふつうよりは多いが、多すぎて不自然ということもない抑制のきいた金額……
老人は、頷いた。
わたしも、頷いて素直に礼を言った。
――そして……
――わたしとシャルルの星図のない旅、その道標となるかもしれない手掛かりが、突然目の前に提示された。それは、後から思えば、文字通り、運命の切り札となるものだった。
「あんたに招待状が三通届いている」
そう言って、老人は、デスクの上の散らかった書類を手で払いのけた。後には、三通の、それぞれに個性的な封書が残された。
――どう見ても、ガラスで出来ているとしか思えない、クリスタルの封書。
――毛羽が立った厚手の白い上質の封書、その古風な封書に手書きのインクでデイテ殿としたためられている……
――三通目は、封書というよりは、石の箱で、しかも、その岩石たるや、赤黒く毒々しい光沢を放っている。
……宛名書きのあるのは白の封書だけで、差出人の名は、三通とも封書表面には記載なし……
「実は、もう二通あったんだが、それは、わしの独断で捨てといた」
老人は、肩をすくめた。
「あまり芳しくない評判の、企業家と領星貴族からのものだ」
わたしも、肩をすくめてみせた。……どうせセックスがらみか、わたしを愛人にしようという馬鹿げた下心の持ち主に相違ない。現実に二回誘拐されたことのある――皇帝のもとへ連れていかれたときは別として――わたしは、内心ぞっとしていた。
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