『天使の翼』第2章(9)
聖薬配給庁――
わたしは、常々、この役所に勤めるお役人は、ある年数を経ると皆神経衰弱になるのでは、と疑っている。1WOPの違算も生じせしめずに、銀河系津々浦々に聖薬を配給するのだ……。
聖薬がらみの犯罪が、帝国法典上唯一死刑の科される罪であるとはいえ、常に強奪の危険にさらされていることは間違いない。その安全な搬送にかかる膨大な手間と経費――聖薬運搬船と配給庁軍の護送船団が常時広い銀河の隅々を飛び回っている――聖薬配給所といえども一定量を上回る備蓄をしてはならないのだ。
聖薬の配給は、各星系の超空間航法中継基地(ワープ・ステーション)で行われる。地上の宇宙港に配給所が設けられていた時代もあった……防衛的見地などと言い出さずとも、ぞっとするほど危険……
聖薬そのものは、本来固体――黄褐色の粉末――だが、液体・気体いずれへも調製できる。固体の状態であれば、常に隠匿の危険性がつきまとうが、計数管理はしやすい。逆に、気体だと、その特性から瞬時に混濁・拡散してしまい、いざという時に護り易いが、計量し管理するとなると厄介このうえない。現在、すべての聖薬は、液体の状態で、注射銃を使って配給される。β‐Col第一惑星上を除いて、聖薬の粉末、ましてや気体は、存在しない。聖薬が確実に使用され消費されたことを確認するため、軍民問わず、すべての乗客乗員は、到着港での尿検査が義務付けられている。
最後は、聖薬査察庁――
この機関は、聖薬に絡むあらゆる不正行為を、可能な限り初期段階で、もれなく摘発することを目的としている――すべては、そのためにシステム化されている――
第一に、聖薬査察庁の査察官自身が不正に身をゆだねてしまっては元も子もない。防止策として、まず、査察庁の官吏採用試験における性格検査の比重が極めて高く設定されている。
任用後も、少なくとも金銭的誘惑にかられる必要条件を減殺するため、例外的に高い俸給が定められている。
地位もまたしかり。聖薬査察官は、名誉欲などとは無縁の世界で生きている。彼らは、銀河の安全と平和を守る最前線の戦士だ。その使命感に加え、職務遂行のための高い階級が与えられている。一般に、帝国の官吏は、その職務と地位に応じて、在任中、准位の爵位が与えられる。その省庁の軽重によって差異はあるが、大臣クラスなら准公爵か准侯爵、主任担当官クラスの木っ端役人なら准勲爵士といった具合だ。聖薬査察官は、確かにエリートの中のエリートだが、たとえば、ある公国の査察に任ぜられると、どんな若造であっても、自動的に准大公爵だ――その爵位は異例の高位なのである……
第二に触れなくてはならない査察官の特別捜査権は、この高い准位によって裏打ちされている。保護国領ないし貴族領内において、当地の領主と対等以上に渡り合って、妨げられることなく職務を遂行できる。
さらに、査察官の行くところ、強力な査察庁軍が護衛に当たる。事例の軽重によっては、一旅団がまるまる随行する。通常、一旅団といえば、宇宙空母2艦と宇宙戦艦4艦を核とした艦隊だから、これはもう、査察官の強制捜査を妨害するなど、端から考えないほうが良い。
そのうえで実施される査察官の特別捜査は、一つには、すべて原則不意打ち捜査だ。いつ、どこにでも、許可なく立ち入れる。銀河帝国第二王朝は、独裁制とはかけ離れた三権分立制をとるから、その意味で皇帝といえども掣肘を受ける――つまり、皇帝の身辺にも
捜査は及びうる。いまだかつてその例がないだけで、准大帝(?)を名乗った者もない……。もしもそんなことになれば、大変な非常大権だが、帝国法典には、ちゃんと准帝の地位と権能をさだめた条項がある……
捜査であるからには、もちろん令状がある。ただし、一般の官憲の捜査令状と違うのは、それが、捜査対象に提示する目的ではなく、捜査官の不正防止のために、テラ=アケルナルの査察庁統合司令室に提出されるのだ――ちなみに、聖薬三庁のうちβ‐Colに本庁のあるのは管理庁のみで、配給庁も査察庁も、テラ=アケルナルの皇宮通りという超一等地にある。
特別捜査について、二つには、その捜査がすべての公務に優先するということだ。たとえば、ある恒星系の自治政府が、保護国への武器不正輸出と、聖薬の水増し帳簿に関与していたとする。査察官は、帝国内務警察、地方内務警察に対して、事前の告知なく、どの段階ででも上級全体指揮権を発動できる。
聖薬庁の艦艇で、査察庁のそれにだけ許されているもの――それが、査察庁の存在目的をより機動的に達成するための、第三点――自載ドライブ超空間航法装置(ワープ・エンジン)だ。簡単に言うと、超空間航法中継基地(ワープ・ステーション)を経由せずに、自力で、どこへでも行ける。この極めて高価な装備は、民間はおろか、帝国宇宙軍でも、限られた精鋭部隊でしかお目にかかれない……何故、管理庁と配給庁に自載ドライブが許されないのか?――それは、もちろん、大容量のWOPを積載した船がスペースジャックされた場合を想定しているのだ……

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