『天使の翼』第2章(8)
まず、聖薬管理庁。ここが、β‐Col星系、第一惑星、そしてセイント・イエローの群落全般の環境を保全し、セイント・イエローの資源量・収穫可能量の維持増大に責任を持つ。当然のことながら、聖薬管理庁所管の研究所だけが、全宇宙で唯一、セイント・イエローの生態調査を許されている。そうでなければ、何か惑星規模の環境の激変があった時に、何も対策を取れない。管理庁は、セイント・イエローの収穫・聖薬の精製までを担当する。第一惑星を含むβ‐Col星系全体の軍事的防衛は、帝国宇宙軍ではなく、聖薬管理庁軍が直接その任に当たる。他の二つの聖薬官庁も含め、聖薬三庁とその所管の軍隊は、帝国政府および帝国宰相ではなく、皇帝の直轄だ。皇帝は、全宇宙の要の会議と言われている聖薬三庁合同会議の議長を自動的に兼務する。
聖薬管理庁に関わるバランス・オブ・パワーについては、常に二つのことが議論されてきた。
一つは、スーパー・テクノロジーの塊のような管理庁軍をどうやって抑止するのか?その任は、β‐Col星系を除いた首都星域を防衛する帝国宇宙軍首都星域方面軍団が担う。両軍が激突するところなど想像したくもないが、両者の装備力がどのように設定されているのか――机上戦ではどちらが勝つことになっているのか?――もちろんわたしは知らないし、知っているのは、宇宙軍の統合幕僚本部のトップレベルと、元老院の軍事参議官ぐらいだと思う。……もしかしたら、元帥府の議長も知っているかもしれない。銀河帝国の長い歴史の中で、軍隊の老人クラブの頂点に位置する元帥府が、単なるお飾り以上の存在感を示したことがないわけではない。誰も見たわけではないが、標準年で年一回開かれる元帥府の会議で、現皇帝は、小僧扱いされているらしい……皇帝が軍出身だと、色々と厄介なことがあるのだ……
二つ目の論点は、より深刻かつ原理的で、決定的と言ってもよい。
もし、聖薬が合成されたら?
銀河帝国の住人すべてに共通の悪夢だ。聖薬による安全保障は、一夜にして崩壊する――誰もが超空間航法症候群ワープ・シンドローム、いわゆる航宙病WASの恐れなしに、どこへでも自由に派兵できる……今の所――現時点で、という表現自体が忌まわしいものだが――聖薬の成分物質は、きわめて複雑な超高分子から成っており、β‐Col第一惑星と同じ惑星でもない限り――そんなものはない――その複雑な生成のステップを辿れないとされている……本当にそうなら良いのだが。これは、帝国聖薬研究所が、公式には、聖薬の成分分析を一切行っていないという声明と並んで、永遠の疑念だ。

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