『天使の翼』第2章(2)

  (親衛隊!)
 わたしの混乱した心の中に、安堵感という名の液体が一気にほとばしった。皇帝がわたしをさらってどうしようというのだ!少なくとも殺される覚えはない……
 (そうだ、きっと、急にわたしの歌を聞きたくなられたのだ……)
 わたしは、前に一度……いや、二度、皇帝陛下の前で歌ったことがある。――最初は、銀河外縁部のさる公国の国主をもてなす晩餐会の席。終始いかめしい顔を緩めようとしなかった老皇帝は、絢爛たる宴も、豪奢な皇宮も、心底嫌悪しているように見えた。――だから、それから間もなく、首都の南の港外に浮かぶコプリ島へ来るようにと、格式ばった伝令使が訪れてきた時は意外に思ったものだ。
 皇帝は――
 「わしが、あの吐き気を催す宴を中座しておったら、今頃公爵の軍隊と一戦を交えておるところじゃった。そうならなかったのは、わしが、あの時、そなたの姿だけを見、そなたの歌だけを聞いておったからじゃよ」
 と、おっしゃり、わたしに、情熱的な曲と静かな曲をその順番で歌ってくれと望まれた……

 あれから、もう標準年で一年は経つ――
 「デイテ殿――」
 わたしの向かいに座る拳男が、がっしりした岩のような体に似合わない印象的なテノールの声で話しかけてきた。
 「気分は大丈夫ですか?」
 わたしは、ただ肩をすくめて見せた。まだ気が動転していて、言葉が出なかった。
 「私は、名は明かせぬが、親衛隊直衛小隊の大佐です」
 直衛小隊――軍隊におけるエリートの中のエリート。その厳格な選抜にあって最も重視される基準は、人格だという。……目的を達成するための鉄の意志。自身の感情、心の動きを制御する力強い自我。そして、意外なことに、人間らしい感情を、あえていうなら普通に備えていること。……親衛隊と言えば誰しも想像することだが、容姿という基準は、全くリストに上がってすらいないという。
 「突然あなたの自由を奪い申し訳ないことをしました。……あなたは、気を失われた後すぐに、陛下のものだとは分からないエアカー――なぜなら我々が前日に盗んだエアカーだからですが――それにお乗せして、インペリアル・スペースポートにお運びしました。我々は、完璧に偽造された身分証を使ってプライベート・エリアのゲートを通過し、軍の情報部が使っているダミーカンパニーの所有するスペース・ヨット、つまりこの船で、宇宙に出ました。これから、宇宙空間で親衛隊の警戒艇と極秘にランデブーします――一民間企業の接待用スペース・ヨットがコプリ島に着陸してはまずいですからね」

 わたしの心の中に、再び不安の種が芽生えだした――何故これほどまでに秘密にするのか?話を聞いていると、わたしという存在が忽然とこの銀河から姿を消してしまったような気がしてくる……
 「……あなたには、これから陛下の御前に出ていただきます。その後――」

 「陛下は、わたしの歌をお望みなのですか?」
 わたしは、思わず馬鹿なことを聞いていた。
 大佐は笑みを浮かべて――
 「正直言って分かりません。私は何も知らないのです。……私はただ、誰にも分らないように連れてくるように命ぜられた。何の痕跡も残さずにです。――私は、その命令を文字通りに受け止めて、具体的な工程表に落とし込み、実行に移したのです」
 わたしは、ただ唇を震わせるだけだった。
 「デイテ殿……」
 大佐は、突然、気遣わし気にわたしの腕に触れた。その時になって初めて、わたしは、わたしがシートベルトで固着されてはいるものの、一切拘束めいたことをされていないことに気付いた。
 「デイテ殿、どうか御安心を。これから陛下とどのようなお話があるにせよ、私は、命令を受けておるのです。もう一つの命令を。――私は、後であなたを首都へ連れ戻すことを指示されています」