『天使の翼』第1章(1)

     歴史は、無数の因果関係の織り成す時のタペストリーだ。
  ひとたび時の嵐が吹き荒べば、人々の目論見は無残に
  打ち砕かれ、無秩序に加速する流れに放り込まれる……
                 (ある古代地球の歴史学者)
 

 わたしは、長年連れ添ってきた旅の伴侶――ギターを肩に、またこの星へと帰ってきた。栄えある銀河帝国第二王朝の首都惑星テラ=アケルナルへと。
 この権力と富貴を極めた惑星は、そして同時に、あらゆる人類の不道徳をも宿している。わたしが今歩み入ろうとしている街の一角は、言うまでもなく……
 わたしは、後ろから二の腕をぐいと摑まれ、のけぞりそうになった。とっさに振りほどき、顧みると――
 油染みた前掛けをした――この際何の脂であるかは考えるまい――、標準年で五十台前半と思しき男……無精髭、穴の開いたブーツ、血走った目……
 「あんた、吟遊詩人か?」
 ギターと肩掛け鞄は、吟遊詩人のアイコンだ。どこへ行くにも一緒。特にギターは、文字通りアンダーウエアのごとく、肌身離さず持ち歩く……

 「わたしの歌声を聴きたいのかい」
 男は、舌なめずりした――どこか場末のパブのマスターなのだ……
 「100ユナイトでどうだ?」
 それこそ、場末の木賃宿一泊のお代。
 「いいよ」
 わたしは、ありったけの笑みを浮かべて見せた。うまい具合に、熱帯夜の清涼剤――そよ風が、わたしの長いブルネットをふわりと靡かせた……
 マスターは、ごくりと唾を飲み込むと、逃がすまじとばかりにわたしの腕を取って、ぐいぐい引っ張っていく。道行く男たち――お上品な殿方は一人とていそうもない――が、無関心を装って、あるいは、あからさまな好奇の視線で、わたしの全身をなめ回す……。弾き語りを生業とするわたしが、ダウンタウンで歌うことにこだわるのは、自分の原点――というと格好良すぎるとすれば、自分の出発点を常に心に刻んでおきたいためで、事実、いつもなにがしか心の琴線に触れるものが得られるのだが……それにしても……わたし自身お上品になりすぎたのか、歩みを進めるにつれ、街の様相は不安なほど猥雑の度を深めていく……帝国の首都であるにもかかわらず、ここは、清掃事業の聖域だとでもいうのか……それどころか、街灯がない!でこぼこで汚水にまみれた道を照らしているのは、ありとあらゆる雑多な店々から漏れてくる色とりどりの明かり。今わたしが吸っている空気には、酸素よりも埃の方が高い割合で含まれていると叫びたくなる……

 わたしが、たまらずマスターの腕を振り解こうとした時――
 「姉ちゃん、ここだ。なかなかいい店だろうが?」
 マスターは、不安げな笑みを浮かべて、わたしの顔色をうかがい、店の中へと誘った。木の感触のする扉に店の名は刻まれていない。もぐりの酒場なのだ……