『天使の翼』第8章(22)

 わたし達は、今から、この男の前に出て、歌い手としての姿を晒すのだ……そして、その後、何食わぬ顔で取り入り、悪魔の懐に入ったところで、やおらとどめの一撃を刺す……
 すべては行き当たりばったりと言って良く、どう転ぶかは、全く予断を許さない事態だった。
 既に、この旅に出てから、それまでのわたしの人生では経験することのなかった、非情な現実――全く身の安全の保障されない、悪意と欲望の無法地帯――愛情とか道徳といったものが、何の価値もなく道端に捨てられている宇宙のブラック・サイドに足を踏み入れている……。しかし、これから経験するであろうことは、それらを遥かに凌駕した、不気味な底無しのクレバスのように思われた。
 そして、こういう時に限って、目前に大きな問題を抱えているような時に限って、わたし達の本来の使命、天使の翼のことが俄かに思い出されて、万力のように心を締め付けてくる……
 わたしは、実際歯を食いしばって、自分の心のパワーを振り絞った。そして、心の平静を求めた――
 気付くと、わたしの手に、シャルルの手が重ねられていた。――その手に力がこもって握り締めてくる……
 ……ふっと、わたしの心が軽くなった。
 わたし一人で悪と闘う訳ではない。
 皇帝陛下が、テナー大佐が、宮廷医シーザリオンが、トム・ジェフリーズ司教が……

 ……そして、シャルル。
 わたしは、傍らのシャルルの顔を見た。
 ほとんど同じ背丈なので、目線ががっちりと合った。
 互いに頷き交わす。
 わたしは、心の中に、わたし本来の積極性と行動の源になる力が甦ってくるのを感じていた。