『天使の翼』第8章(12)
間一髪部屋に戻ってきたジェーンの入れてくれたお茶をありがたく頂戴してから、わたし達は別れた。今朝のジェーンは、いつの間にか、第一印象がそうであったような、無口な女性になっている。なんだか気がとがめたが、これでいいのだと思うことにした……
宿泊施設は、祭りのメイン会場となる広場に面している。
幸いなことに、今朝はいくつもの屋台が出ていて、食事に困ることはなさそうだ……
ほどなく、シャルルが、男性巡礼者用の宿舎から出てきた。シャルルと寝食を共にするようになって分かったのだけど、彼は……朝起きたときの顔が、一番きらきらして魅力的だ。どんな困難な状況の時も、シャルルは、痩せた体に似合わず食欲旺盛で、よく眠る……シャルルは、余程のことのない限り、ストレスで心身が不調になるようなことはないのだと思う――たいていのストレスは処理できてしまう精神力――精神の構造をしているのだ。
「よく眠れたみたいね――」
つい愚痴っぽくなる。
「大丈夫、デイテ?」
そっとわたしの頬に触れてくるシャルルの手の甲に、思わず頬ずりしたくなるのを、わたしは、ぐっと我慢した――
「朝食を取れば元気になるわ……着替えたのね、シャルル」
シャルルは、泥だらけの服を着替えていた。改めて見ると、なんとも吟遊詩人っぽい。特別吟遊詩人の服装規定などある訳ではないが、それにしても、よく特徴をつかんでいる……聖薬査察庁で教えている変装術は半端じゃない……いや、シャルルの場合は、変装というより、演技――それも、見せ掛けではなく、なりきっている……ごく自然に、何の苦もなく……
――その時、わたしは、また、シャルルと兄のケインの姿がダブるのを感じた。
屋台でコーヒーと軽食を買い込んだわたし達は、森のはじまる広場のはずれにあったベンチに腰を落ち着けた。
昇り来るアクィレイアの太陽は、燦燦と輝いて、今日一日が、昨日までが嘘のような暖かい一日となることを約束していた。
「昨夜はどうだったの?」
シャルルが、悪戯っぽい笑みを向けてきた。
シャルルは、敏感にジェーンの興味の対象が、彼自身からわたしへと移ったことを察しているのだ。
「何を考えているのかしら、あなたは?少しばかり世間話をして、すぐに寝たわ」
……シャルルは、ジーっとわたしの顔を見てから、真剣な口調で――
「ジェーンとあまり近付きにならないようにしたんだね、デイテ」
わたしは、頷いた。
「ジェーンをわたし達の――いえ、わたしの、ね――」
シャルルは、首を小さく横に振っている。
「――事件に巻き込む訳にはいかないのよ」
「全くその通りだ。距離を置いて、彼女の身に危険が及ぶような事態は避けなくてはならない」
わたし達は、そこでしばらく黙り込んでしまった。

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