『天使の翼』第6章(16)

 若き男爵は、悩ましげに俯いた――打ち明けるべきかどうか、悩んでいるのだ。一度打ち明けてしまうと、それは告白者の手を離れて、その結果何が起こるかは、受け取った側がどう受け止めるかにかかっている……
 「……謎を抱えたもの同士が出会うと、お互いに補い合って、その謎が解けることがあります」
 男爵が、面を上げた。
 「――今回がまさにそのケースと言っていいでしょう。……今からお話しすることは、きわめて重大です。具体的な名前を出しますが、驚かないでください」
 わたしとシャルルは、凍りついたようになって男爵の顔を見守った。
 「――宰相猊下です」
 ……わたしとシャルルは、二人してきょとんとした顔をしていたと思う……。『具体的な名前を出します』と聞いて、どこか地方の有力者、名だたる企業の幹部――漠然とその手の連中を予想していたので、全く範疇外のことを言われて、認識不能の状態に陥った……
 男爵は、そうと察して、根気よく繰り返した。
 「宰・相・猊・下です」

 シャルルの方が、どうにか先に立ち直った。
 「男爵家の宰相ですか?」
 「いえいえ、わが男爵国家の行政トップは、行政長官という呼称で呼ばせていただいております――控え目に……」
 「……」
 「それに、わが国の長官は、僧籍ではありません」
 男爵は、緊張した顔に微かに笑みを浮かべた。
 ――シャルルとわたしは、ほとんど同時に気付いて、驚愕の表情を浮かべた!
 「帝国宰相!」
 すぐに気付くべきだった――男爵は、宰相『閣下』と言わず、『猊下』と言ったのだ!今の帝国宰相は、コスモス・カソリクスの大司教の位階を有する公爵スカルラッティ十二世……
  「……これは、あくまで仮定の話だが、我が政府の宰相が加担
 している可能性も、ゼロと断言はできないぞ……」
 ……わたしの脳裡に、コプリの離宮で聞いた皇帝の言葉が、記憶として突然蘇った。――サンス大公フィリポスの謀叛に内通者がいない保証はない、と、そういう話をしていたのだ……わたしの両親の失踪も絡んだ一連の吟遊詩人誘拐事件……その時、わたしの心に、吟遊詩人狩りという嫌な言葉が浮かんだ――という全くの別件ではあるけれど、良くない意味――非常に良くない文脈で、スカルラッティ公爵の名が続けて出たことになる。