2016.03.28 16:37『天使の翼』第4章(12) クリプトンが次から次へと繰り出すハイテンションな曲を聴きながら、わたしの心境は、幾分複雑になりかけていたと思う。 「いけない」 わたしは、小さく声に出して立ち上がると、クリプトンのショーの終わる前に、楽屋へと引き上げた。人との比較の中に自分の歌を置くこと自体、間違っている。余計なことを考えると、自分を見失ってしまう。いろいろな経緯、いきさつはあったものの、クリプトンの歌は、クリプトンの歌、わたし...
2016.03.24 03:24『天使の翼』第4章(11) わたしが、吟遊詩人魂を心に秘めて会場に足を運ぶと、すでに、前座――という言葉は使いたくないが――の吟遊詩人――初老の男性の歌が始まっていた。クリプトンの侮辱的な言辞にもかかわらず残ったという三人のうちの一人――彼は、おそらく、そんなものには取り合わない、達観の境地にあるに違いなかった。歌を聞けばそれが分かる。よく通るバリトンの声が、高く低く会場に澄み渡って、最初のうち飛んでいた野次は、一曲歌う頃...
2016.03.24 02:55『天使の翼』第4章(10) わたしにあてがわれた部屋は、ロイヤルやスーパーといった冠詞は付かないかも知れないが、サザン・アイランドのほぼ全貌と、セントラル諸島の主要な島々、そしてライトアップされたマウリキス城まで見渡せる素晴らしい部屋(スイート)だった。クリプトンの公演初日に、飛び入りのわたしにこの部屋を用意してくれたことに、わたしは、言葉以上の重みを感じた。 わたしは、壁面いっぱいの窓辺にソファーを引っ張って行き、部屋の...
2016.03.21 06:12『天使の翼』第4章(9) 彼は、手振りで、窓際の応接セットを示した。わたしは、この時点でもう合格したようだ…… 老人は、大儀そうに腰を下ろすと―― 「まったく、馬鹿な小娘だ」 わたしと全く同じ感想を述べるのだ。 「――人は、皆それぞれ人なのだ、という当たり前のことが分かっとらん」 (同感) 「だいたい、わしが、あの小娘をうちのホテルに出演させるのに、いくら払ったと思う」 「……」 老人は、声には出さず、愛嬌たっぷりに口だ...
2016.03.16 16:40『天使の翼』第4章(8) ――ここでなら出演を断られる心配はない。そして、わたしは、自分のすべてに自信がある――決して過信ではなく……わたしの歌にも、そしてわたしの容姿にも――わたしは、もうすぐ三十になろうという頃に一つの真実を悟っていた――男性の心は、決して厚化粧の整った顔のメイクには揺り動かされない。そうじゃないのだ。素朴な薄化粧で十分なのだ――彼女が生き生きと無心に輝いていさえすれば…… わたしは、エアタクシーを降...
2016.03.16 16:25『天使の翼』第4章(7) 「今夜は、……無理かも」 わたしは、肩をすくめた。 いくら飛び入りの吟遊詩人でも、もう夕方だ――そんな空きはないだろう……明日の出演の約束を取り付けた上で、今夜の寝床を確保するのだって難しい。ホテルなんて気紛れなもので、絶対空いていると思って行くと、シー・フロントでない低層階の部屋まで全部満室だったり、逆に半ばあきらめてフロントに行くと、あっさり良い部屋に案内されたりするものだ…… ――そこで、...
2016.03.13 15:52『天使の翼』第4章(6) わたしは、入国手続き――と言っても、マウリキス伯爵は歴とした帝国の譜代直接叙任貴族だから、ほとんど形式だけ――を済ませ、すぐさま、エアタクシーを拾った。 「ぐるっと一周してちょうだい」 めぼしいホテルに白羽の矢を立てなくては…… わたしは、初めての土地を訪れるとき、いきなり目的の場所なり建物に直行するのではなく、まず、周囲をぐるっと回ってみることにしている。まず全体の感じをつかんでおきたいのだ。...
2016.03.13 15:44『天使の翼』第4章(5) ――船体の気密ドアーが開き、聖薬配給庁の警備兵が入ってきた。 リーダーらしい軍曹が、おなじみのアナウンスを行なう―― 「今から、皆さんを十人ずつ聖薬検査所の検査用個室にお連れします。個室は男女別に分かれています。性別は、旅券にあなたが申告登録された性別にしたがってください――」 ――暗に性同一性障害のことを言っているのだ…… 「――検査は、尿検査方式で行います。初めて宇宙旅行をなさった方も、個室...
2016.03.09 17:35『天使の翼』第4章(4) …………瞼を透けてくる光が、いつの間にか踊るのをやめていた。 わたしの周囲は、心地よい静寂に包まれている。 ――と、体ががくんと揺れて、わたしは、目を開いた。 ……徐々に記憶が蘇り、自分の見ているもの――船室の風景が、理解できてくる……刹那、今回もまた、わたしの夢の定番とでも言うべき、祖母の夢を見たことが心に留まる…… 他の船客達も、もぞもぞと体を動かして、覚醒の儀式を始めている…… 船窓を見や...
2016.03.09 17:22『天使の翼』第4章(3) 皇帝陛下! 場面が変わった。コプリ島の離宮。あの部屋…… 着座した皇帝…… ああ、皇帝も何か言っている。わたしの視線は、皇帝の口許に吸い寄せられる。 何を言っているのだろう?何で聞こえないのか? …… 「公爵?……た・い……大公?」 苦しい。何を言っているのか……もう少しで分かりそうなのに―― 光の乱舞―― わたしには、結局何も分からない。 光の乱舞と乱舞の間、次々に浮かび上がる顔、顔、顔…… ...
2016.03.07 02:39『天使の翼』第4章(2) やがてわたしの番が来て、いつものことながら、わたしは、軽い目眩を覚えた――いかに自動操縦とはいえ、この船の航宙士が正気を保っていてくれることをわたしは祈る…… 全員の注射を終え、配給庁の技官と警備兵らは退船した。 船内は、そこかしこで、押し殺した会話の声がするものの、大半の乗客は、聖薬摂取の副作用で睡魔に襲われ夢の世界を彷徨っている…… 一瞬体の浮くような感覚とともに、船が、係留棟から離脱した。...
2016.03.07 02:19『天使の翼』第4章(1) 人類の文明は、人の手で栽培しやすい野生の植物種が発見され、その食糧生産技術が発達して、余剰食料が生じた時に、その揺籃の時を迎えた。食糧生産に従事しなくてもよい人口比率の増大、そして、その人々の職能の爆発的な分化が、人類に文明をもたらした。……簡単に言うと、畑仕事から解放され、ぶらぶらしていられる余剰人員が生じたからこそ、文明が育つことが出来たのである。……会社組織も全く同様である。人員にある程度...